源平の凄絶なドラマに思いをはせる

学校で習った、源氏と平氏の壮絶な戦い、源平合戦。どんな話か覚えていますか。

私が源平合戦についてオトナになってから意識をしたのは、始めて奈良県・吉野を訪ねたときでした。

大きな戦いや、歴史の登場人物の運命を分けた土地を追いかけるうち、いつしか歴史が生んだそのドラマが、精細な色彩を伴って頭に浮かんでくるようになりました。

このサイトは、そんな管理人がまとめた、源平合戦についての概要まとめサイトです。私達の国の来し方を眺めるに、きっと心に訴えかける何かが見つかるはずです。みなさんが楽しんで読んでくれますように。

平清盛がひらいた平安末期 - 概論

源平合戦は、どれくらいの期間のうちに繰り広げられた戦いか、ご存知でしたでしょうか。時は平安末期、1180年から1185年(治承4年から元暦2年)のわずか6年間です。

史学的には、これは治承・寿永の乱と呼ばれる内乱ということになります。現時と平氏はこの内乱で23の合戦を行い、最後の壇ノ浦での平家滅亡で終止符を打ちました。

かつての武士達は、上皇や上級貴族にとっての小間使い、汚れ役でした。源氏物語のような艶やかな世界とは異なるもうひとつの世界で武士達は生きていました。清盛の人物像や時代背景を知ることで、平安末期のイメージは思い浮かぶと思います。

清盛は貴族との関係を築き財と地位を手に入れましたが、それは長くは続きませんでした。暗雲立ち込めてきた政情のなか、清盛は独裁政権で強行策を厭わず、その反発勢力と平氏とが、武士のみならず寺社勢力や駆り武者まで巻き込んだ大規模な戦乱へとなだれ込んでゆきました。

この内乱は、日本史上の大きな変革となったことはもちろん、合戦のあり方や精神性にも非常に大きな変革を与えることとなりました。

幾多の合戦を経て、平清盛はマラリアで病没、その後平家の凋落は目に見えて進んでゆき、ついには平家滅亡というシナリオで終止符を打ちます。

あらゆる側面から、いわば源平の争いを「研究」するスタンスで情報をまとめたのがこのサイトです。歴史の移り変わりや合戦のルール、あるいは登場人物たちの姿を省みることで、面白いサイトにできればと思っています。

平清盛が一目置いた存在

ホントかウソか…かの平清盛がある人物に一目を置いていたという噂があります。その人物とは、源義経の家来である“武蔵坊弁慶”です。

敵方にまで一目置かれていた弁慶。その強さは鬼神の如し。最後は無数の矢に打たれ絶命しましたが、絶命したあとも立ったままだったということは有名な話です。