源為朝は、源氏の棟梁・為義の八男で、九州を暴れまわった、身長が2メートルの大男でした。素行の悪さは有名でついに訴えられ、父・為義が官職を解かれるまでとなる事態になりました。
為朝が歴史上に名前を残したのは、保元の乱の際です。弓の名手としても知られていました。保元の乱では、最終的には敗北となり、父・為義は斬られましたが、朝廷も弓の才能を惜しんで、死を免じ伊豆大島に流罪になったという説があるほどです。
流罪でついた伊豆でも乱暴を働いて、結局は自害したといわれています。
為朝はあまりに乱暴で手に負えないので、九州に追放されてしまいました。追放先では豊後国に居住しましたが、血の気の多さは変わらず、数十回におよぶ合戦を繰り返しました。城攻め、軍略にすぐれ、3年のうちに九州を従え、鎮西の総追捕使と自称していました。