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大きな地位を占めた平家

清盛は、後白河上皇に接近し、二人三脚で平氏の支配を取っていきました。通例を破り、敵であった頼朝兄弟を殺害しなかった清盛ですが、それが結果的には仇となり、20年後平氏は頼朝らによって滅亡したのでした。

勢力を失った摂関家や院政派、親政派の代わりに大きな地位を占めるようになったのが、平家の一門でした。清盛は平治の乱の恩賞として、正三位に昇進し公卿の一員となりました。その後も猛スピードであっという間に出世し、軍事力でも力を増していきました。

崇徳上皇の怨霊

不遇の生涯を送った崇徳上皇には、「日本国の大魔王となり、天皇を民とし、民を天皇としてやる」と怨みの言葉をいい、自らの舌先をかみ切り、流れる血で、大乗経に呪いの文言を書きつづったと伝説も残っています。髪も爪も切らず悪鬼と化して、長寛2年(1164)に亡くなりました。これが真実かどうかわかりませんが、朝廷側の負い目が、崇徳の怨念への恐怖心となりました。