以仁王は、才能が優れ人望もありましたが平氏勢力に押さえつけられ、王にとどまっていた人物です。宇治合戦は、この以仁王と長老・源頼政、三井寺の僧兵たち、それに奈良の興福寺と比叡山の延暦寺の僧兵たちが協力し、勃発しました。
平家軍と頼政軍は、「橋合戦」に突入しました。下野の足利忠綱が活躍で平家の勝利となりました。頼政は必至に抵抗しましたが、相手は大勢の軍を従え、この時に軍の数は、源氏軍1000余騎、平氏軍は2万8000余騎でした。頼政は最後は、従者に首を打たれて自刃しました。
頼政は鵺(妖怪)退治で名前を挙げた人でした。平治の乱では清盛に協力し信頼をあつめ、源氏の中では破格の待遇を受け、77歳で晩年を悠々と過ごす身でありました。が、77歳で奮起したのは、色々な説がありますが、一番有力なのが以仁王への忠誠心であり、平氏政権への不満が根底にあったのではないかと言われています。