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合戦の姿の変遷

独裁政治を執る平清盛は天皇幽閉など強行策を厭わず、さまざまな勢力からの反発を引き起こしました。武士や寺社勢力、駆り武者が渾然一体となった戦が幕を開け、次第に合戦のルールも様相を異にしていきます。

それまでは、武家が築いてきた騎射の作法などが常識的に用いられてきましたが、そんなルールを知らない勢力が合戦に加わることで、これほどまでに合戦は異なるものへと変わっていったのです。

源平合戦の幕開け

強大な権力を振うようになった、平清盛・一族に対する不満は積み重なり、鹿ヶ谷事件は未遂に終わったものの、日本全土の「打倒平氏」を目指す勢いは…

合戦作法の変化

伝統的な合戦作法では、合戦場所・日時を事前に指定します。軍使を交換し開戦状を交わします。矢合わせを行い、騎射で個人戦(一揆打ち)とします。

富士川合戦ルール

源氏軍4万余騎、平氏軍4000余騎とするこの戦い「富士川合戦」では、源氏側から、平氏側に日時・場所を指定する軍使を送ったにもかかわらず、平氏の…

宇治合戦ルール

宇治合戦では、宇治川の先陣争いなど、武功を競う行為もありました。戦いの緒戦は、両軍がにらみ合いながら向かい合って立ち、互いに敵陣めがけて…